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Point Lesson 78: 私は…

みなさん「私は」という日本語を、どういう頻度で使ってますか?

そんなにめちゃくちゃ使わないよね。あえて私「は」の時ぐらいだよね。皆で食事行くことになったけど私「は」子供の送り迎えがあったから行けなかった、みたいな。

ところで今日カフェで絵を描いてる時、隣の席に座ってる人たちが日本語レッスンをしてた。

講師(日本人)はこう教えてった↓

『「私は」は、自分の話だという意味だ。だから自分のことを話す時は「私は」を付けましょう。』

生徒はこの話を聞いて、自分のことを話す時は必ず「私は」をつけるように頑張った。こんな感じで↓

「私は(名前)と申します。私は日本語を勉強しています。私は頑張りますのでよろしくお願いします。」

講師はそれを聞いて、なんと褒めまくる。正しく言えてると。上手に発音できてると。

そして生徒は日本語でもなんでもない謎のものを身につけた。

残念。

なにが一番残念かと言うと、生徒たちが今回のレッスンのせいで、これから生の日本語を聞いた時に混乱してしまうことだ。

例えば「お腹すいたね」という日本語を耳にしたとする。誰がすいた?言った人のことなら「私は」を付けてるはずだけど、付けてないからその人の話じゃないはず。じゃあ誰の話?日本語難しい!!

いやあ、本当に残念。

普通に日本語を話せる日本人講師なのに、なんでこんなことになってしまうのだろう。なんで謎の日本語を教えて、その謎の日本語を使った生徒を笑顔で見つめて褒めまくるんだろう。

まあよくあることです。よくあるというか、言語教育の基本になってると言ってもいいかもしれない。

こう考えればいい。みなさん上手に歩けますよね。だからと言って、歩けないものに歩き方を教えられる自信ありますか?

「子供にならできるよエリック」

嘘ばっかり。教えてあげても教えてあげなくても、ある日決まったタイミングで勝手に歩き出すのが子供だもん。

そう。何しろ歩くという行動は、遺伝に定められた人間として当たり前な行動だからだ。バランスをどうのこうのして右足と左足を交代で前に置く、という理解からできるようになる行動ではない。

そして言語も同じようなものだ。理解から生まれたものではなく、遺伝に定められた人間として当たり前なものだ。

つまりいくら日本語を話せても、日本語への理解から話せるようになってるわけではない。

上記「私は」のような謎レッスンが言語教育の基本になってしまってる理由はここにある。そもそも理解から成り立ってないものを理解したつもりになって、その理解を人に与えようとするのが語学教育。

しかしこのやり方だと人間の本来の言語習得の仕方に逆らってしまうため、当然結果も出しにくい。

もったいない。時間も金も。

以上日本語の話でしたが、本当は英語の話、そしてスクール・講師の教え方、生徒の受け入れ方、の話でした。




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